2018年

7月

28日

清少納言や吉田兼好も嘆いた日本語の乱れ

 「日本語は乱れてきているのかどうか」というテーマに対して、あなたはどう考えますか。このテーマを考えるうえで参考になる文献があります。それは西暦1000年ごろに清少納言によって書かれたとされる『枕草子』の第188段です。以下のことが述べられています。

 

【原文】何ごとを言ひても、「そのことさせむとす」「言はむとす」「なにとせむとす」といふ「と」文字を失ひて、ただ「言はむずる」「里へ出でむずる」など言へば、やがていとわろし。まいて、文(ふみ)に書いては、言ふべきにもあらず。

 

【現代語訳】何かを言うにしても、「そのことさせむとす」「言はむとす」「なにとせむとす」などの「と」の文字を取り除いて、ただ「言はむずる」「里へ出でむずる」などと言うのはよくない。ましてや、手紙でこれらを書くのは、言うまでもなくよくない。

 

 清少納言にとっては大変お気の毒なことなのですが、高校の古典文法で助動詞「むず」が学ばれることからもお察しのとおり、のちにこの「むず(る)」は広く使われるようになります。


 そして時は流れておよそ300年後。今度は吉田兼好が西暦1330年ごろに執筆したとされる『徒然草』の第22段を見てみます。以下のようなことが書かれています。

 

【原文】文(ふみ)の詞(ことば)などぞ、昔の反古(ほうご)どもはいみじき。たゞ言ふ言葉も、口をしうこそなりもてゆくなれ。

 

【現代語訳】手紙の言葉など、昔の人が書き損じたものであっても素晴らしかった。しかし話し言葉も、徐々に情けなくなっていくようである。

 

 いかがでしょうか。日本を代表するこれら2つの随筆作品でも上のようなことが述べられていたことは大変興味深いです。つまり、1000年以上前から「昨今のことばはよくない」と感じている人がいたのです。ほかにも似たようなエピソードとして、次のような笑い話があります。

 

 ある考古学者が、遺跡に書かれた古代文字の落書きを発見したそうです。当時の歴史を知るうえでの何か重要な内容が書かれているのか、それとも財宝のありかを知らせているのか、期待は深まります。そしてやっとのことで解読してみると、次のようなことが書かれていたそうです。「最近の若者はなっとらん」。

 

 こちらの古代文字の小話は出典が確かではないので、真偽のほどは定かではありませんが、『枕草子』と『徒然草』は実在する作品ですから、確かに述べられていたことです。いつの時代でも「最近のことばは……」と嘆かれているということは、次のことを意味するのではないでしょうか。それは、ことばは変化していくものであるということです。


 ことばは人間が使用するものである以上、永久不変であることは難しく、使う人によって姿、形が変えられていきます。「むず」のように「よくない」とされていたことばが、徐々に市民権を得て、最終的には多くの人によって使われるようになったものは多くあります。この流れは、①誤用→②揺れ→③定着という流れで表すことができます。まず通常では使われないことばは①誤用とされます。しかし、①が徐々に話者によって使われてくると今度は②揺れになります。最後の段階では、多くの人が使うようになり、③定着します。
 

 したがって、冒頭の「日本語は乱れてきているのかどうか」という問いは、どの基準をもってして乱れているとするか判別が難しいため、簡単には答えられないのです。自身が使っていないことばでも、一般的には定着しつつあることばもあるかもしれないですし、定着していないことばでも、自身は多く使っているものもあるかもしれないからです。

 

 だいぶ前の時代でも嘆かれていたことからもわかるように、人間が使うものである以上、刻一刻と変化していくのがことばの宿命なのではないかと思います。

2018年

6月

16日

「~たいと思います」

 「~たいと思います」という表現を多用していませんか。

 

 例えば、「それでは始めたいと思います」や「これから説明したいと思います」などです。

 

 始まったり、説明したりするのは既定路線なのに、なぜ「~たいと思います」を使うのでしょうか。

 

 そこには「始めます」や「説明します」と断定するよりも、「~たいと思います」のほうが表現としては柔らかくなるから、という心理があるのかもしれません。

 

 ただし、「~たいと思います」を多用すると、もどかしく感じる聞き手もいるため、歯切れのよい「~ます」の使用も意識したほうがよいでしょう。

2018年

5月

20日

「教育」をどう読み下しますか

 教育観は「教育」という単語の読み下し方(訓読のしかた)にも反映されると言えるでしょう。

 

 「教えて育てる」という訓読をした人は、教師側の視点から教育を眺めています。

 

 「教えて育つ」という訓読をした人は、教師と学習者双方の視点から教育を眺めています。

 

 「教わって育つ」という訓読をした人は学習者の視点から教育を眺めています。

 

 このように、どの視点から教育を眺めるかで、文章での表し方も変わってくることでしょう。

2018年

4月

27日

「ぜひ協力します」

 先日、テレビの再現ドキュメントを見ていて、「ぜひ協力します」というセリフを耳にしました。

 

 協力を要請されたときのセリフだったのですが、文としての座りが悪く感じます。「ぜひ」のあとに「~ます」で意志表明するのは不自然です。

 

 「ぜひを使う場合、後ろの文は行動要求表現や、許可求め表現となるが普通です。たとえば、「ぜひ召し上がってください」や「ぜひやらせてください」などです。

 

 したがって、先のセリフは「ぜひ協力させてください」なら、なんの違和感も持たないで済むのです。

 

 仮に「協力します」のほうをそのままにしたいのなら、「もちろん、協力します」などと言ったほうがよいでしょう。

2018年

4月

10日

「間」と「間に」

 時を示す表現の中で、似たようなものとして「間」と「間に」があります。例文から両者の違い考えてみましょう。

 

①夏休みの間、ずっとハワイにいます。
②夏休みの間に、運転免許を取ります。
 
  ①は夏休み中の大部分をハワイで過ごすというのを表しているのに対して、②では夏休みのどこかのタイミングで免許を取るということを述べています。この違いは英語におけるduringとinと似ていると言えるでしょう。また、次のような例文も考えられます。

 

①出かけている間、ずっと雨が降っていました。
②出かけている間に、雨が降ってきました。
 
  ①は外出中ずっと雨が降っていたというのを表しているのに対して、②では外出中のどこかのタイミングで雨が降り始めたということを述べています。この違いは英語におけるwhileとwhenと似ていると言えるでしょう。


 このように、母語の背景知識が生かせる使い分けはさまざまなところにあるのです。

2018年

4月

06日

「~とき」の導入法一例

 日本語では、従属節内の時制によって、あらわす内容が異なります。このような違いが把握できるよう、よく使われる例文が以下のものです。

 

①授業が終わるとき、 Xさんが教室に来ました。
②授業が終わったとき、Yさんが教室に来ました。

 

 この例文は遅刻した人について述べています。

 

 ①では、ル形を用いており、そろそろ授業が終わるという段階で「Xさんが教室に来た」と説明しています。
 一方、②は授業が終わった段階で「Yさんが教室に来た」と説明しています。


 このように日本語教育で「~とき」を扱う際は、できるだけシンプルな例文を提示する工夫が求められるのです。

2018年

4月

05日

なので

 「今後、人件費の増加が予想されます。なので、工場の移転を提案します。」という文中に使われる「なので」に違和感を抱くでしょうか。

 

 このように文頭に接続詞として「なので」を使うのは、文法的には誤りとされています。「なので」の形になるのは「星がきれいなので、外へ行きませんか」「雨なので、走りましょう」などのように、「ので」の前にな形容詞(形容動詞)、または名詞が置かれるときです。

 

 では、なぜ文頭に「なので」が使われるようになったのでしょうか。先の文を「だから」と見比べてみましょう。

 

「?今後、人件費の増加が予想されます。なので、工場の移転を提案します」
「今後、人件費の増加が予想されます。だから、工場の移転を提案します」
 
 「だから」のほうが、「人件費の増加を理由として、移転すべきだ」という意味合いの語感が強まります。それを弱めようとして「なので」が使われた可能性があります。ただし、「なので」に違和感を持つ人もいるため、公的の場などでは「そのため」「ですので」などと述べたほうがよいでしょう。

2018年

4月

04日

「~たことがあります」の導入法一例

 「~たことがあります」をどのように導入するのでしょうか。参考にできる部分があるかもしれないので、以下に紹介します。

 

 「あります」は所有を表します。たとえば「話があります」「質問があります」などです。この所有文を最初に復習します。


 そして、所有文「~があります」の復習が終わったところで、学習者に次のような質問をします。「UFOを見たことがありますか」「スカイダイビングをしたことがありますか」などです。

 

 このとき、「映画館で映画を見たことがありますか」のようなまったく珍しくない経験を尋ねる文は提示しないように注意します。というのは、「~たことがある」の文は、経験を有するかどうかに焦点が置かれているので、「映画館で映画を見たことがありますか」のように答えがほぼYesになってしまう質問をすると、意味・用法がぼやけてしまうからです。

 

 導入の際は、「ことがある」の「こと」は「経験(experience)」を意味するという説明も加えます。


 あわせて、文法説明をする際は時間軸を示した図解を提示します。それにより、「~たことがあります」と「~ました」の違いがより明確になると考えられます。

2018年

4月

03日

もったいない

 食べ残しがあったとき、好機を生かしきれなかったとき、時間を無駄遣いしてしまったとき、いずれの場面でも「もったいない」と発することができます。

 

 2004年にノーベル平和賞を受賞したケニア人女性、ワンガリ・マータイさんが環境保全の標語として普及させたことにより、世界的にもMottainaiは知られるようになりました。

 

 もともとは仏教に関係することばで「勿体無い」が語源です。「勿体」とは、この世はすべて縁でつながっているという本質であり、その本質を無視していることを嘆くところから来ているようです。そこから転じて、与えられた事物をうまく生かしきれないことを残念に思う気持ちを表しているのだそうです。

 

 これを英語にした場合、“That’s a waste.”と表現することができますが、この場合「それは浪費・無駄遣いだ」という意味になり、「もったいない」が持つ「惜しむ気持ち」までは完全に届けられないでしょう。


 事物への敬意が込められている「もったいない」。環境保全を発展させていくうえで、これからも重要な概念となっていくことでしょう。

2018年

3月

29日

比較文の例文

 比較文の導入で「アメリカはロシアより小さいです」「メロンはイチゴより大きいです」などの例文を使っていませんか。

 

 はたして上記の文はいつ使われるのでしょうか。それぞれの文を検討していきましょう。

 

 まず、1つ目の文です。そもそもアメリカ自体面積が大きい国なので、「アメリカが小さい」と述べるのはすこし妙です。どちらかというと「ロシアアメリカより大きいです」のほうが自然でしょう。

 

 そして、2つ目の文です。「メロン」と「イチゴ」を比べた場合、「メロン」が大きいことは明らかです。そのため、情報という観点から考えると、あまり意味がない文だと言えるでしょう。

 

 では、どのような例文がよいのでしょうか。答えは生活に関する例文です。たとえば「××レストランは○○レストランよりおいしいです」や「○○スーパーは▲▲スーパーより安いです」などです。日常会話においては、2つを比べるのではなく、1対多数で比較することも大変多いです。たとえば、「○○スーパーはほかのスーパーより安いです」「××レストランはほかのレストランよりおいしいです」などです。このような例文を授業で提示するのも意義あることでしょう。

 

 このように、例文を考える際は自身の生活を振り返ってみるのもよいかと思われます。

2018年

3月

27日

頑張ります

 「頑張ってね」「うん、頑張る」のように「頑張ります」ということばは非常に多くのところで使われます。


 語源は諸説ありますが、「我(が)に張る」つまり自分の考えを押し通すことに由来する、または「眼張る」つまり注視して見張ることに由来するなどの説があります。今ではこれらの語源から転じて「努力して取り組むこと」を表すことばになりました。


 「頑張ってくださいね」などと言うほうは、悪気なく使うのですが、言われたほうとしてはそれがプレッシャーになってしまうケースもあります。または、何かを強要されているようで「頑張って」と言われるのも嫌う人もいます。実際に「勉強、頑張ってくださいね」などと言われるのを嫌う学習者も中には存在します。


 くわえて、フォーマルな場面で「頑張ります」を使うと、すこし違和感が出てしまいます。その代わりとして用いられるのが「尽力する」で「尽力いたします」などのように使われることも多いです。


 「頑張ってください」を英語にすると“Do your best.”となりそうですが、これは不安がっている人に対して使われる励ましのことばです。英語の場合、“Good luck.”などの表現のほうが多く使われるでしょう。そして、「頑張りましたね」は“Good job.” “Well done.”などで表すことができます。いずれにせよ、英語の場合は状況や場面などによって使われる表現は変わってくると言えるでしょう。

2018年

3月

23日

仕方がない

 何か困難な状況や不可避の事態に見舞われ、「どうしようもない」というときに使われるのが「仕方がない」です。この表現には、遭遇している状況や事態を受け入れるしかないというある種の諦観の意味合いも含まれています。類似表現としては「仕様がない」「致し方ない」「やむを得ない」などがあります。


 “Shikata ga nai”などとローマ字表記して表されることもあるようですが、「仕方がない」という意味の熟語としてよく提示されるのが“can’t help doing.”です。しかし、この場合は諦観の意味ではなく、「~したくて仕方がない」「~せずにはいられない」という意味で使われます。上記の意味合いを出すためには“There's nothing we can do.”という言い方もありますが、こちらは諦観というよりも「なす術がない」という意味に近いです。


 また、「仕方がない」は聞き手に対しても使えます。たとえば、台風の影響で予約していたライブがキャンセルになり、がっかりしている友人がいたとします。その場合、相手に対して「台風なんだし、仕方ないよ」のように励ましのことばとして使用する例も考えられます。この場合、英語では“That's life.”と言って、落胆している相手に対して励ましのことばを投げかけるということもできます。


 諦観の意味合いが言外に含まれている「仕方がない」。そこには、日本語に込められた事態への捉え方が反映されているようにも感じます。

2018年

3月

21日

否定形疑問文の答え方

 否定形疑問文の答え方は日本語と英語とで異なることはよく知られています。たとえば、“Don’t  you usually have breakfast?”に対する回答は、“Yes, I do.”で「食べること」を表し、“No, I don’t.”で「食べないこと」を表します。


 しかし、日本語の場合「ふだん朝食を食べませんか」という質問に対する回答は「ええ、食べません」「いいえ、食べます」となります。つまり、「普段食べない」という内容に対する真偽を尋ねているわけです。「普段食べない」という内容が真なら、「はい」となり、「普段食べない」という内容が偽なら、「いいえ」となるのです。英語では単純に「朝食の有無」を聞いているので、“Yes, I do.” “No, I don’t.”でよいのです。


 実は否定形疑問文の答え方は日本語学習者にとっても難しく、「はい/いいえ」を省略して単純に「食べます/食べません」のように答える学習者もいます。

2018年

3月

09日

この世とあの世

 存命中の世界のことを「この世」、死後の世界のことを「あの世」と言います。

 

 基本的には、自身の領域にある事物を「これ・この」などで指し、自身から遠くにある事物に対しては「あれ・あの」などで指します。

 

 「この世」は言い換えれば「こちらの世界」で、現在位置している地球上の世界を述べています。「こちらの世界」からは見ることができない死後の世界のことを「あの」を使って指し示すというのも不思議なものです。

 

 英語では「あの世」は、"that world"ではなく、"the other[next] world"と述べるのが一般的だそうです。

 

 英語とは異なり、生前と死後を「この世」「あの世」と連続した世界としてとらえるのは、日本語ならではの死生観が表れているのかもしれません。

2018年

3月

06日

語呂合わせを使った英単語の覚え方

 英語を習い始めたばかりで、takeとbringの使い分けがこんがらがってしまう学習者に対して、「takeは『「持っていく」という語呂合わせですぐに覚えられる」という説明を耳にしたことがあります。しかし、この覚え方だと間違えてしまう可能性があります。


 たとえば、「(あなたの元に)これを持っていきますね」と述べる場合、正しくは“I’ll bring this to you.”なのですが、「持っていく」と覚えてしまうと、“I’ll take this to you.”と述べてしまうかもしれません。


 「行く」と「来る」は、日本語と英語とで視点の置き方が異なります。日本語の「持っていく」は話し手の視点が出発するところにあり、そこから何かを持参するときに使われる表現です。一方、「持ってくる」は、話し手の視点が到着するところにあり、そこへ何かを持参するときに使われる表現です。


 それに対し、英語のtakeは、話し手である私が今いる場所から違う場所に持参するときや、話し手と聞き手が共に同じ場所へ移動し、何かを持参するときに使われます。一方bringは、話し手である私が聞き手と近づくときに使われます。


 このように言語間では、完全に1対1で対応していない単語も多くあるため、覚え方にも注意が必要だと言えるでしょう。

2018年

2月

26日

表現形式をうまく使ったなぞなぞ

 まずは次のなぞなぞに挑戦してみてください。

 

問題


 あるところにいつも尻に敷かれているドナルドという男がいました。彼は「今日は日曜日だし、遅くまで寝て、あれをゆっくり食べよう」と心に決めていました。

 しかし、ドナルドは妻パーカーに午前8時半に叩き起こされ、家全体を掃除するように言われます。ベッドから起き上がり、掃除を始めたドナルドでしたが、結局2時間もかかってしまいました。掃除中ドナルドがずっと思っていたことは「あれが食べたい」ということでした。
 掃除を終えたドナルドはようやくあれが食べられると思っていましたが、続けて妻パーカーに「先週買った組み立て式のテーブルを完成させておくように」と命じられてしまいます。2時間半かけて作業を終え、ようやく「あれが食べられる」と思ったドナルドでしたが、もう食べられなくなっていました。
 さて問題です。結局ドナルドが食べることができなかった「あれ」とは、いったい何だったのでしょうか。

 

***


 登場人物の名前から、ハンバーガーなどを想像した方もいたかもしれませんが、不正解です。答えは朝食です。手が空いたときにはすでに午後1時を回っており、もう昼食の時間だったからです。
 このなぞなぞのミソは、問題文の最後が「ドナルドが食べることができなかった『あれ』」となっており、過去否定の「~なかった」が用いられている点です。もしこれが「ドナルドが食べることができていない『あれ』」のように未完了を表す「~ていない」が用いられていたとしたら、簡単に朝食という答えが出せたことでしょう。
 このように、なぞなぞ1つ取ってみても、表現形式は非常に重要であることがわかります。

2018年

2月

25日

語学と楽器

 語学と楽器の練習は似ている部分が多いです。これまで私が積んできたモンゴル語の学習経験とピアノの楽器経験をもとに、共通点を考察してみます。


 まず、どちらも習い初めの頃は慣れないため、ぎこちないです。しかし、練習するにつれて、徐々に使い方がわかってきます。楽器で言えば、指や手などが動くようになり、ゆっくりと弾けるようになる段階で、語学で言えば、短文でも産出できるようになる段階です。

 

 それを繰り返していくと、さらに上手になっていくのですが、あるときから練習してもなかなか上達しなくなる停滞期(plateau)を迎えることになります。

 

 しかし、諦めずに練習しつづけていれば、閾値(tipping point)に達し、自由に使いこなせるようになります。楽器で言えば、暗譜して譜面を見ずに自然に音楽が奏でられる段階で、語学で言えば、頭で考えずにスラスラと産出できるような段階です。

 

 それぞれの経験をとおして、やはり語学も楽器も日頃の継続した練習が不可欠なのだと痛感します。

2018年

2月

24日

エグイ

 テレビで「エグイ」という形容詞を多く聞きます。

 

 辞書で調べてみると「あくが強く、のどや舌を刺激するような味わい」という意味なのですが、現在では多義語となっています。

 

 例えば……

 「このお店、エグイくらい混んでる」

 「今月は残業がエグかったな」

 

 などです。この場合、「程度が甚だしい」「きつい」「ひどい」などの意味合いです。

 

 どうやらもともとは関西地方での単語だったそうなのですが、テレビで多用されたことから、広く使われるようになったようです。単語の普及においてはテレビの影響力は大きいことがわかります。

2018年

2月

20日

「劣化」の使われ方

 「劣化」の使われ方が徐々に変化してきています。どういうことでしょうか。

 

 「劣化」といえば、「経年劣化」ということばが連想されるように、機械や建物などに対して使われるのが常でした。

 

 しかし、昨今では有名人の顔や身体などの容姿に対して使われるようになりました。それまで人に対して使われることがなかった「劣化」はネットやマスコミなどによって、使われ方が変わってきています。

 

 人が年を重ねれば、変わっていくのは当然で、それは「劣化」ではなく「老化」です。「劣化、劣化」と揶揄して言っている人自身も、時が経過すれば、年を重ねます。自分を差し置いて他人に対して「劣化」と言うのはすこし変な感じがします。

2018年

2月

13日

「美人すぎる」「天使すぎる」などの「~すぎる」

 今回はキャッチコピーで使われる「美人すぎる」「天使すぎる」などの「~すぎる」を考えてみます。

 

 「~すぎる」の前には通常、動詞や形容詞、形容動詞などが使われます。例えば「食べすぎる」「寒すぎる」「静かすぎる」などです。しかし、「雨すぎる」「会社員すぎる」などのように「名詞すぎる」の接続だと、座りが悪く聞こえます。ちなみに「大人すぎる」「子どもすぎる」などの表現は、抵抗がない人は使っているようです。

 

 聞き慣れない当初は「美人すぎる」と聞いて「どれほど美人なんだろう」と思った人もいたかもしれませんが、ここ最近だと手垢がつきすぎた表現なので、あまりインパクトのないものになってしまっています。

 

 多用されるフレーズは、受け手が慣れてきてしまうため、人目を引く効果も徐々に薄れてしまいます。これは「神対応」などで使われる「神」などにも同様に言えることでしょう。

2018年

2月

11日

効果的な校正方法

 テストやプリント制作、または文書作成に際して、効果的な校正方法とは何でしょうか。

 

 今回は私が実践している方法をご紹介します。それは、異なる媒体でチェックしていくことです。

 

 例えば、ある文書を作成したとします。それをパソコンの画面上で、何度かチェックして校正をしていくのはよくあることだと思います。

その次に、その文書をプリントアウトして、紙媒体でもチェックしていきます。これも、慎重派の人はよく行っていると思います。ここからが新しい部分だと思うのですが、タブレットでもその文書を確認し、校正していきます。

 

 このように、①パソコン、②紙、③タブレットなどのように媒体を変えることで、何重にもチェックすることができます。また、媒体が変わるので、気分転換しつつ、校正作業をすることができるのです。

 

 媒体はほかの物でも構いませんので、ぜひさまざまな媒体を利用してみてください。

2018年

2月

09日

「学習者に~させる」という表現

 「学習者に~させる」という表現を書籍や論文などで時折目にします。例えば「学習者に書かせる」「学習者に理解させる」などです。

 

 「~(さ)せる」は使役形で、上記の文では命令や強制を意味します。英語にすると”make learners do”といったところでしょうか。そのため、聞こえ方によっては教師が学習者を見下したような横柄な表現になってしまいます。

 

 特に「学習者中心」や「自律(自立)学習」などを謳った文章中に教師目線であるこの「学習者に~させる」が登場すると、主旨と表現形式とに乖離が生じているため、違和感を抱く可能性が高くなります。

 

 この場合「学習者に~してもらう」や「学習者が~する」などに言い換えたほうが読み手としては違和感なく読み進めることができます。

2018年

1月

08日

洗練された謙譲語を使おう

 今回はタイトルのとおり、洗練された謙譲語の使用について考えてみます。

 

 まずはちょうど真逆の視点から考えてみましょう。洗練されていない謙譲語とはどのようなものでしょうか。

 

 「始めさせていただきます」や「説明させていただきます」の表現は多く耳にしますが、「~(さ)せていただきます」の多用は一本調子に聞こえるため、聞き手にとってはくどく感じることがあります。そのため、あまり敬語にこなれていない感じがします。

 

 確かに「~(さ)せていただきます」は、どの動詞にも使えて、便利なことは便利なのですが、しつこくなってしまいがちです。

 

 そこで考えられるのが、「開始いたします」や「ご説明します」などのように、さまざまな謙譲語の形を使う表現方法です。こちらのほうが多様性に富んだ表現となります。謙譲語の作り方は主に2パターンで、①特別な形、②「お()~します」の形です。

 

 上記のように、少し表現を変えるだけで、聞き手に洗練された印象を与えることができます。

2018年

1月

05日

「違和感を感じる」の重複

 「違和感を感じる」という表現において「感」の重複を避けるにはどうしたらよいでしょうか。

 

 「○○感を感じる」は、「頭痛が痛い」と同じ類の重複です。このような重複した表現は、意識していないと普通に発してしまうことが多々あります。

 

 ではどうすれば「○○感を感じる」のような重複を防げるのかというと、動詞を変えればよいのです。代わりとして以下のような動詞が考えられます。

 

・「違和感がある

・「違和感を持つ

・「違和感を覚える

・「違和感を抱く

 

 上のように、さまざまなバリエーションがあります。

 

 「頭痛が痛い」も「頭が痛い」「頭痛がする」「頭痛がひどい」などと言い変えれば、重複を避けられます。